<Header>
<Author: 白居易>
<Title: 新樂府 隋堤柳	憫亡國也>
<Format: 格式不明>
<Year: 1964>
<BookName: 漢詩大系  白樂天>
<Translator: 田中克己>
<style: 現代文無假名>
<style2: 日本現代譯文無假名標注>
<TranslatedTitle: 隋堤柳>
<BookPage: 102-106>
<UsedPage: 5>
<Feature: 1, 4>
<End Header>
<Poem>
隋堤柳，
歲久年深盡衰朽。
風飄飄兮雨蕭蕭，
三株兩株汴河口。
老枝病葉愁殺人，
曾經大業年中春。
大業年中煬天子，
種柳成行夾流水。
西自黃河東至淮，
綠陰一千三百里。
大業末年春暮月，
柳色如煙絮如雪。
南幸江都恣佚遊，
應將此柳繫龍舟。
紫髯郎將護錦纜，
青娥御史直迷樓。
海內財力此時竭，
舟中歌笑何日休。
上荒下困勢不久，
宗社之危如綴旒。
煬天子，
自言福祚長無窮，
豈知皇子封酅公。
龍舟未過彭城閤，
義旗已入長安宮。
蕭牆禍生人事變，
晏駕不得歸秦中。
土墳數尺何處葬，
吳公臺下多悲風。
二百年來汴河路，
沙草和煙朝復暮。
後王何以鑒前王，
請看隋堤亡國樹。
<End Poem>
<Translation>
隋の大運河の堤の柳は ながい年月がたったのでみんなよわってくさりがきている。風はひゅうひゅうと吹き雨はしとしと降る。二株三株の柳が沐河の岸に立っている。その古い枝とわくら葉とは人をかなしませる。 これが大業年間の春にあったのだ。大業年間の天子、煬帝は 柳を流れの両岸にならべて植えた。 西は黃河から東は淮水まで 緑の影が千三百里つづいた。大業の末年の春も終わりの三月に 柳の色は霞のようで、その花は雪のよ うに白かった。煬帝は南方の江都に行幸して遊びを好きほうだいにした。きっとこの柳に乗船をつないだにちがいない。赤髯の追衛の将軍がニシキの綱の番をし 眉うつくしい女官が迷楼の宿直をした。天下の財力はこの時もう消耗しきっていたが 乗船のなかでの歌ごえや笑いはいつやむとも知れなかった。上の者はすさび下の人民が苦しんでは国の勢いも永つづきしない。国家のあやういことは冠につけた珠のようだ。しかも爆帝ときたら 「じぶんの幸福は永久で無窮だ」といっていた。自分の子が皇帝から公爵におとされるなど知らなかった。煬帝の乗船が彭城閣まで来ないまに 義軍の旗は長安の宮殿にはいってしまった。家の内にわさわいがおこって人間の事がらは変動し 崩じて長安へは帰れなかった。わずか二、三尺の土墳をきずいて葬られた場所は 吳公部というところで、あたりには悲しい音たてて風が吹く。それから二百年というものはこの沐河の路では 沙原の雑草が朝夕かすみにつつまれているだけだ。後世の皇帝たるものはなにで前代の皇帝をかんがみるかといえば 「隋の堤の亡国の樹をみよ」とねどうものだ。
<End Translation>
<Formatted Translation>
隋の大運河の堤の柳は 
ながい年月がたったのでみんなよわってくさりがきている。
風はひゅうひゅうと吹き雨はしとしと降る。
二株三株の柳が沐河の岸に立っている。
その古い枝とわくら葉とは人をかなしませる。
これが大業年間の春にあったのだ。
大業年間の天子、煬帝は 
柳を流れの両岸にならべて植えた。
西は黃河から東は淮水まで 
緑の影が千三百里つづいた。
大業の末年の春も終わりの三月に 柳の色は霞のようで、その花は雪のよ うに白かった。
煬帝は南方の江都に行幸して遊びを好きほうだいにした。
きっとこの柳に乗船をつないだにちがいない。
赤髯の追衛の将軍がニシキの綱の番をし 
眉うつくしい女官が迷楼の宿直をした。
天下の財力はこの時もう消耗しきっていたが 
乗船のなかでの歌ごえや笑いはいつやむとも知れなかった。
上の者はすさび下の人民が苦しんでは国の勢いも永つづきしない。
国家のあやういことは冠につけた珠のようだ。
しかも爆帝ときたら 
「じぶんの幸福は永久で無窮だ」といっていた。
自分の子が皇帝から公爵におとされるなど知らなかった。
煬帝の乗船が彭城閣まで来ないまに 
義軍の旗は長安の宮殿にはいってしまった。
家の内にわさわいがおこって人間の事がらは変動し 
崩じて長安へは帰れなかった。
わずか二、三尺の土墳をきずいて葬られた場所は 
吳公部というところで、あたりには悲しい音たてて風が吹く。
それから二百年というものはこの沐河の路では 
沙原の雑草が朝夕かすみにつつまれているだけだ。
後世の皇帝たるものはなにで前代の皇帝をかんがみるかといえば
 「隋の堤の亡国の樹をみよ」とねどうものだ。
<End Formatted Translation>